最高裁判所第三小法廷 昭和40年(行ツ)91号 判決 1968年9月17日
上告人 田中直男
被上告人 杉並税務署長
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人中条政好の上告理由緒論および第一点について。
旧所得税法(昭和二九年法律第五二号による改正前の昭和二二年法律第二七号、以下同じ。)四六条によれば、上告人に対する本件更正処分の通知には理由の附記を要しないこと原判示のとおりであり、右更正にあたつて所得額等の算定につき推計の方法がとられたか否かによつて、その取扱いを異にすべき根拠はない。また、同法四六条の二第三項の規定は、青色申告書によるものを除き、所得額等の算定に推計を用いて更正または決定をすることを妨げない旨を明らかにし、右推計のための方法の大要を例示したものにとどまり、これを所論のように解する余地はない。
論旨は、要するに独自の見解に基づき原判決を非難するものであつて、採用できない。
同第二点および第三点について。
旧所得税法九条四号は、所得税の課税標準となるべき所得額が事業所得についてはどのような数額であるべきかについて定めた規定にすぎず、もとより同号によつて定まる所得額がどれほどあるかについて実額調査によりがたい場合に、これを推計の方法をもつて算定することを禁ずる趣旨を含むものではない。所論は、同号の趣旨の誤解に基づくものというほかはない。また論旨は、所得標準率の使用を非難するが、それによる推計の当否は、その採用する所得標準率が当該納税義務者の所得の推計につき具体的に合理性、妥当性をもつか否かにかかるのであつて、一般的にその使用を違法視することの誤りであることはいうまでもない。本件更正処分については、原判決引用の第一審判決は、諸般の事情を考慮した周到な検討の結果、上告人の年間仕入高を基礎として二九パーセントの差益率の採用を合理性あるものと認め、これによる推計を相当としたのであつて、その判断は十分首肯するに足り、これを違法とする所論はあたらない。なお、論旨は、本件更正処分を違憲のごとく論難するが、その実質は単なる租税法規の解釈適用を争うものにすぎず、違憲に名を藉りるものといわざるをえない。論旨は、いずれも採用できない。
同第四点について。
論旨については、判断を示すべきかぎりでない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判官 飯村義美 田中二郎 下村三郎 松本正雄)
上告理由
緒論
一、更正決定は税額について行う。申告額が過大である場合は之を減額し過少である場合は増額し、その増額分に相当する税額の追徴を目的として行う処分である。
本件の場合は申告額が過少であるとして増額を命じその増額分について旧法第四六条に因り之を追徴しようとする更正処分である。
二、処で、更正処分をなすには申告額について必らずその適否を調査する。その調査方法について法はそれが青色申告である場合とそうでない場合(白色申告)とに之を区別し青色申告について更正する場合は、旧法第四六条の二第一項の規定によつて行い、白色申告の場合は同条第三項の規定によつて行うべきことを命じている。
三、上告人は白色申告者である
被上告人は本件更正について推計を用いたと述べている。してみると当該更正処分は旧法第四六条により行われ、認定による更正所得金額の計算は旧法第四六条の二第三項の規定によつて行われたものである。
而して税金の計算について推計を用いることは特例である。それ故に法は要件を定めて規制している。即ち旧法第四六条の二第三項所定の左記(一)乃至(四)に至る各事実である。
(一) 財産の価額、若しくは債務の金額につき増減の事実があつたとき
(二) 収入若しくは支出の状況
(三) 事業の規模等
(四) 右列記の諸原因により申告漏れ所得があると、若しくは有つたと推認できたこと
四、以上により更正処分につき推計を用いるについては、右列記の事実に該当するこれこれの事実に基きこの通り更正するに至つたこと、即ちその理由を明らかにしなければならない。然るのちにその申告漏れ所得の計算が帳簿その他により計算出来ない事情にあつて、はじめて己むを得ず推計という手を用いることになる。
五、然るに原審においても第一審においても推計を用いたのは正しい己むを得ないではないかと云う判示のみで肝腎な最も肝要な前項に述べた更正理由については一言も触れていない。又、被上告人も此の理由を黙して述べない。
上告人は常時被上告人に対しその理由の開示を求めているが被上告人は此の理由の開示をその都度逃避している。
六、更正理由が不明である限り又更正理由を示されない限り申告のどの点が悪いというのか、更正処分のどこが悪いと云つてよいのかその見当がつかない。
裁判をするについても同じように云えると思う。
そこで被上告人は更正理由の開示を更正処分に推計を用いた原処分庁として当然になさねばならぬ行為であると考える。それは旧法の場合更正処分に対し異議ある者は旧法第四八条により再調査の請求ができる。この再調査の請求を受けた処分庁は同条第五項の定める処により同項第一号乃至第三号による決定をしその理由を附記した書面により当該請求をした者に通知することを命じられている。又、この決定に不服な者は同第四九条第一項により一ヶ月以内に国税局長に対して審査の請求ができる。この審査の請求を受けた国税局長は同条第六項の定める処により審査決定(現在は裁決)をなし、前条の場合同様に理由を附記した書面により当該請求をした者に通知しなければならない。
七、右審査決定に不服な場合は同法第五一条によつて更に出訴することになるのであるが、その場合同法第四九条第六項の決定を経たことを条件に決めている(五一条第一項参照)。又、この決定を経ないで出訴できることを同条第一項但書をもつて決めている。この場合は当然同法第四九条第六項の条件は満されない。そこで同法第五一条第六項を設けて訴の進行中であつても再調査決定若しくは審査決定がなされていない場合はその決定が出来ることを明らかにしている。
八、かくの如く法が抗告手続及び訴訟を通じて「理由を附記した書面」による決定の存在を必要とする事実はそれ自体法が強く之を要求することを示すと同時に之は処分を受けた納税者にとつても又必要であり裁判を行う裁判官にとつても必要でないとは云えないと思う。このような各事実に徴して明かである。
以上の理由により更正処分について推計を用いた原処分庁、審査庁は義務として決定を行い之を理由を附記した書面により通知するのは勿論法廷においても当該決定通知書により陳述し且つ、立証すべきであると論断する次第である。
本論
第一点
<1> 然るに第一審判決及びこれを踏襲した原判決は肝腎な前記の更正理由即ち同法第四六条の二第三項所定の事由に触れる処なく所得標準率を用いたことのみを判示している。
<2> これでは一審判決及び原判決は判決に影響を及ぼすべき重要な事実についての判断を逸脱したものである。
<3> 又、被上告人の当該更正処分は法が要請した要件を満たしておらず、しかもそれが重大な瑕疵であるから畢竟取消されるべき運命を免れない違法な処分であることが判断されないことになる。又、現にそうなつている。
<4> 上告人によつて此の点が一番不服であり之を理由の第一点とする次第である。
第二点
<5> 所得標準率を用いることは通常の場合不当である。なぜ適用出来ないのかは次に述べるが、昭和三七年二月八日国会における大蔵委員会で此の点が問題になり時の国税庁長官が『以後部内において処分の参考程度に之を使用しても外部に向つてなす更正処分の基準として使用するようなことはしない』と述べている。此の答弁は不合理性を認め且、基準として使用しないことを明らかにした。
第三点
<6> 所得標準率実施の弊害之を要約すると次のようになる。
一、正しく申告した者が過大な更正処分を受ける結果になる。
二、過少申告者が不当に更正処分を免れる結果ともなる。
三、若しその申告額を標準率に合致させたとしてもその実質は過大か過少の申告である。
四、所得標準率・差益率・経費率を使用して更正する場合には必らず実態調査する。その調査に於て手数がはぶける。従つてそれだけ乱用されることが非常に多くなる。
五、殊に更正処分をしても実際の所得を超えて更正することは許されない。
以上により租税の賦課徴収に実収所得主義を採用する現行所得税法上、所得標準率を使用することが不当であることは明白である。而して之は所得を算定する会計法令にも違背する。
<7> 被上告人は乙第六号証に明らかな通り仕入金額を引下げて売上げに因る利潤を不当に釣上げ又、売上金額を水増して利潤を不当に釣上げ以つて三三%或は二九%の生果物販売業に因る所得標準率をでつち上げている。
此の被上告人の行為は現行所得税法が所得を算定するには同法第九条第一項第四号(事業所得であるため)により計算すること、その足らぬ処は企業会計原則及び、所得標準率の代りに製造工業原価計算要綱(昭二三、三、二日総理府令第十四号)等によつて行うことになつている。法令に違背するものである。尚、右被上告人の行為は憲法第三〇条、同法第八四条及び同第九九条にも違背する違憲処分となる疑がいもある(同第九八条第一項参照)。
第四点
<8> 時効
被上告人の不動産所得に関する消滅時効についての法解釈は誤つている。
以上の諸点は本件に限つたことではなく他の件についても見られる。そこで本件訴訟物の価額は少額であり御庁を煩らわすことについて反省もしてみたが、処分の当否という点、並に更正処分は行政処分中の典型的覊束処分である。その処分に於て処分庁が法令若しくは正当である会計規範を無視して処分することは許されない。格別の御審理を求めるものである。
以上